北里病院・さっぱりわからん!検査編

クリーンルーム内の空気に馴化(じゅんか)(=慣れる)するための30分が終わった。さぁいよいよ診察!と思いきや、またもやそうじゃなかった。

「ではこれから、検査になります。3人一組で検査室に入りますので、呼ばれた方は順次御入室下さい。では〇〇さん、〇△さん…」

え、これから検査!? とちょっと驚いた。

というのもクリーンルームに入る前に、視力検査、尿検査、血液検査、そして心電図測定と、一連の検査はすでにやっていたのだ。この上さらにまだ、検査、するんですか?

しばらくして私も呼ばれ、看護師さん先導で検査ルームに入る。もちろんここもクリーンルーム内だ。というか、この検査を正確に行うために、こんな大がかりなクリーンルーム仕様にしているのだが。

なかに入ると、え、と思うくらい室内は薄暗かった。そして見たところかなりぎちぎちに、モニター機器やパソコン機器が所狭しと置いてある。薄暗いせいか、モニター画面の光だけがやけに明るく見える。何だか怪しげ。検査室というよりこれは、秘密情報機関の隠れアジトみたいだ。この薄暗さがまた何とも。

「奥野井さーん」

私が呼ばれ、モニター画面の前に座るよう言われた。看護師さんが横でパソコンを操作すると、画面上に白いボールが現れてくる。

「この白いボールが、これから画面上で動きます。それを目で追って下さい。ボールが止まるまで、ずっと追い続けて下さいね」

始まると、たしかにその白いボールが、画面の中を縦横無尽に動き回る。最初はゆるやかな波形に動いていたのだが、次第に動きが速くなり、しかも急に上下にピュッと動いたり、突然斜めに飛んだりとする。予測のつかない動き方で、「ゲームみたいだなぁ」と最初は面白がっていたのだが、終ってみるとけっこう目が疲れていた。途中で何回か、「あ、見失った」「今のは追い切れなかった」と思う瞬間があった。


それが終わると、また違うモニターの前に誘導される。

「今度は、画面にこんなふうな(と看護師さん画面に出す)立体図形が出てきます。そしてしばらくすると、そこに影が出てきます。(とたしかにじわ~と黒い影が浮かび上がってくる) この影が見えた、と思ったらすぐ、このスイッチを押して下さい」

?何が何だかさっぱりわからないが、ともかく言われた通りにする。要するにこれ早押しだよね、と思い、影がじわ~と浮かび上がってきたらすぐさま、うりゃうりゃうりゃ、とスイッチを押してゆく。押すとすぐに次の図形が出てくるので、何だか妙に楽しい。終ってみると「これは出来たな!」と思い、「けっこう高得点かしら?」などと思った。もう完全にゲーム感覚。

そして三つ目の検査。

この最後の検査ブースが、実のところ一番見た目が怪しかった。部屋のほぼ中央にあるのだが、その周囲は暗幕でぐるりと囲まれている。この薄暗い部屋のなかで、さらに暗くしているのだ。

思わず、高校の文化祭のお化け屋敷を思い出してしまった。いやーあれ大変なんだよなぁ、教室を真っ暗にするために窓にダンボール貼ったり暗幕吊したり…などと。暗幕、かなりなつかしい。

「じゃここに座って、目をつぶって上から両手で覆ってもらえますか。ハイ、そんな感じで。そのままで3分間いて下さい」 と看護師さん。

暗幕の内でさらに目をつぶりまたさらに両手で目を覆うというこの徹底ぶり。目の前はもう本当に真っ暗暗だ。いやしかし、何してんだろうかこれ?

「目の瞳、つまり瞳孔ですね。瞳孔を今、大きくしているんです。瞳孔は、暗いところで大きく開く性質があるんですよ。そのためにここは、暗く暗ーくしてあるんです」

かくれんぼの鬼になっているような私の隣で、看護師さんがひそひそ小声で説明してくれる。


「このあと行うのが、瞳孔反応検査、というものです。暗所で大きく開いた瞳孔に、一瞬強い光を当てます。フラッシュみたいな、かなり強い光です。瞳孔は光を見ると、ギュッと縮んで小さくなるのですが、そのときの反応の速度や反応度合を調べるんです。それがこの検査の目的です」

「はぁ…」

と、かなり懇切丁寧に説明してくれる。が、残念ながら今一つ、いやほとんどわからない。というか暗いので、だんだん眠くなってきました…。

ピピピッとタイマーが鳴った。3分経過。

「じゃ行きましょう。目はまだ開けないで下さいね」

「はい、じゃ目を開けて下さい。今から当てますよー、ハイッ」

ぎゃっ!!

説明通り、フラッシュのような強い光が、目の前で光った。もの凄い衝撃、のようなものが、目から脳へとズバッと突き抜けてゆく。凄い。こ、これはキョーレツ…と思わずその場でへなへなになる。

「大丈夫ですか!?気持ち悪いですか!?」

と言う看護師さんに両手で誘導され、顎(あご)を何やら金属製のワクらしき上に置く。

看護師さんがすぐ駆け寄ってきた。「吐き気はないですか!?」

吐き気はなかったが、目にはまだ光の残像が焼き付いていて、それが頭の芯でジンジン響いているような感じだった。強烈だ。光ってある意味、凶器にもなるんやな…。

「休んでて下さい。ここに横になってもいいですよ。大丈夫ですか。…実はこの検査が、患者さんにとって一番きつい検査なんですよ」

「そうなんですか」

「はい。吐いちゃったり、なかには気絶してしまう人もいます。すごくダメージが大きいんです。…検査だから仕方ないんですけど、何だか本当に申し訳なくって。毎回、ごめんなさい、ごめんなさいって、思うんですよね…」

「いやそんな、看護師さんのせいじゃないですよ、全然」


それどころか、この北里の化学物質過敏症外来の看護士さんたちは、皆とてもやさしくて、親切だった。いや親切以上に何か、CS患者に徹底的に寄り添おうとする、強い意志のようなものが伝わってくる。クリーンルーム内での仕事であるから、彼女たちも完全にノーメイク。おそらく普段からシャンプーやリンスの類も使用していないのだろう。においはまったくなかった。

また私が、何より嬉しかったのは、我々患者を最初から、「化学物質過敏症患者」としてみてくれている、その姿勢だった。常日頃から、「わけのわからないこと言っているわけのわからない患者」扱いされることに慣れている身としては、それは涙が出るほど嬉しいことなのだった。今もまたこうして、隣で親身に話しかけてくれている。心がじわっとあたたかくなった。

これで、検査はすべて終了。
「お疲れさまでした」と看護士さん。うん、たしかにけっこう、ハードであった。いやしかし。
何の検査…してたの?

さっぱりわからん!というのが正直なところだった。
化学物質過敏症を診断するための検査で、なぜ目ばかり調べるのだろうか?目と病気にはいったい何の関係があるんだろう?私には別に、目に出る過敏症状って、特にないんだがなぁ。何だか狐につままれた気分…


そしてやっと、やっとようやく、待ちに待った診察となった。

診察室に入ると、40代半ばくらいの、眼銀をかけた一見研究者? みたいな雰囲気の男性の先生が椅子に座っていた。そうして手元のデータ書類に、次々と目を走らせている。たぶんそれらは、今さっきやった私の検査の結果なのだろう。

「はい、どうぞこちらへ」
「失礼します」

私も椅子に座り、診断を待つ。

…どうなんだろう…ここまで検査しておいて、これで「化学物質過敏症じゃありません」なんて言われたら、もうどうしたらいいんだ…そんな不安がしきりに押し寄せてくる。

「結果から先にお知らせしますと、中程度の化学物質過敏症ですね」

中程度…?ということは半分は化学物質過敏症ではないってことなのだろうか。

「いえ、そうではありません。化学物質過敏症です。重症ではなく、軽症と重症のちょうど中間、という意味です」

あぁそうか…良かった。やはり私は化学物質過敏症だったのだ。肩の力が一気に抜け、安堵感が胸に広がっていった。ホッとした、その一言だった。

「それではまず、検査結果から詳しく御説明します。最初の、白いボールを目で追いかける検査ですが…」

と、ここで先生は検査の結果と私の症状を詳しく説明してくれたのだが、悲しいかな知識のなかった当時の私にはチンプンカンプンで、半分もわからなかった。後々本などで調べて、やっと「そうだったのか!」とわかった。以下、後で知り得たことと合わせて説明してみる。


最初の、目でボールを追う検査は「眼球追従運動検査」という。患者の眼球がスムーズに動くかどうかを、調べる検査。

化学物質過敏症患者の眼球は、普通の健康な人に比べて、動きが遅くなる傾向がある。それで対象物の動きを目で追い切れず、わずかに遅れる。だから途中で、つい目線を飛ばす。つまりスキップしてしまう。

「ここ、動きの線がガタガタになっているでしょう。このとき目線が飛んでいるんです」

たしかに、先生が見せてくれた動線のグラフでは、私の線はあちこちでガタガタのギザギザ、になっていた。そういえば検査時も、「追い切れてないなー」と思う瞬間が何回かあったのだが、なるほどまさに。

眼球の動き方から、何がわかるのか。

それはここから、身体の運動機能の状態がわかる。眼球の動き、イコール身体の動き。ということはつまり、眼球の動き方に異常が出ている、イコール、身体の動き方に異常が出ている、ということだ。

なぜそうおかしくなるのか。

それが化学物質の影響なのである。化学物質のために、機能障害に陥っている。


たとえばシックハウス症候群の原因物質の一つであるホルムアルデヒドは、脳の大脳基底核(だいのうきていかく)という神経細胞の塊みたいなところの、さらにそのなかの淡蒼球(たんそうきゅう)という部位に障害を起こすという。

また塗料や接着剤に含まれるトルエンは、耳より後ろで、ちょうど首のつけ根の辺りにある小脳に影響を及ぼす。

大脳基底核・淡蒼球と小脳はいずれも、身体の運動機能をコントロールしているところだ。運動、というと何だかスポーツのようだが、そうではなく、姿勢の保持、筋肉の動かし方の調節、動作をなめらかに行うようにする、などのごく基本的動作を指す。つまり私たちの日常における、ごく普通の動作、身体のふるまいの調節を行っているところなのだ。

そこがやられている。化学物質によって、機能障害を起こしている、わけなのだ。

次に行った、立体図形の上にじわ~と影が浮かんでくる検査。あれは「コントラスト感度検査」という。

化学物質過敏症患者の場合、健常者に比べ白と黒のコントラストを見分ける感度が、落ちるのだという。これは視力の問題ではなく、やはり脳の問題だ。


ところで人間の視覚というのは、案外複雑に出来ているらしい。目で見たもの―つまり眼球レンズに写った像を、「あ、これね」「この人ね」と理解するのに、脳の三ヶ所の部分が連携する必要がある。

目で見た像は、神経の信号となり、まず後頭部にある視覚中枢へ送られ、そこから頭の側面にある側頭部(そくとうぶ)に送られ、最後に頭の前面にある前頭前野(ぜんとうぜんや)に行く。その間わずか0.2秒。

目で物や人を見た瞬間から、その信号はもの凄いスピードで脳の中を、バシバシーッと電光石火の如く駆け巡っている、わけである。うーん凄いですねぇ。

それで話を戻すと、化学物質過敏症の場合、この最初に目から信号が送られる視覚中枢のところに、問題がある。機能障害に陥っているのだ。だから白黒コントラストの認識が、遅れる。視力の問題ではなく「脳の問題」というのは、そういうわけだ。

「奥野井さんは、この検査での異常はありませんでした」と医師の先生。あ、やっぱりね。


そして三つ目の、一番強烈だった検査、「瞳孔反応検査」。

これは、瞳孔の反応から、自律神経の働きを調べる検査だった。

と聞いて、「自律神経の働き」がピンとくる人は、果してどのくらいいるだろう?自律神経って、何してる神経? 昨今、『自律神経はこうやって整える!』みたいな健康本をよく見かけるよね。でもその自律神経自体がどーもピンとこない。自律神経って、何やねんソレは。

と、ずっとそう思っていたのだが、ピンとこないのもある意味当然っちゃ当然だった。

自律神経、は、読んで字の如く、「自律」している神経なのだからして。
つまり私たちの意志や意識とは関係なく、勝手に動いてやってくれる、そういう神経なんである。

たとえば心臓だ。心臓は私たちの意識の介在なしに、勝手に動いて心拍を打ち、その心臓をポンプにして全身に血液を送り出しては、また戻してくるという、血液循環を行っている。

また、消化管などもそうだ。胃は、入ってきた食べ物を強力な酸(胃酸)でまず分解し、さらに小腸や大腸で栄養分を吸収したり、ある種のビタミン類を作り出したりとした後、最後はその残りカスを便として排泄させる。

これも、我々の意志や意識とはまるで関係ないところで、勝手に身体がやっている。

さらに、体温の調節。身体の温度が上昇してくれば、汗腺から水(汗)を出して体表面を冷やすようにし、逆に下がってくると、血管をぎゅっと収縮させて、熱の放散を防ぐようにする。そんなふうな調節を行いながら、身体の温度をつねに一定に保つ。

と、こんな感じで同じように、目や気管や、肝臓や腎臓、などの働きも調節している。自律神経のこうしたコントロール、支配はほぼ全身に及び、自律神経支配のない部位を探す方が困難、なのだとか。


自律神経は、そうやって我々が、つまり身体の持ち主が、どんな行動に出ても、どんな環境に身を置いても、つねに身体の機能の調節を繰り返して、一定の状態を保とうとするのである。オール自動調節機能、というべきか。

あれ? これ前にも同じこと言ってなかったっけ? と思ったアナタは鋭い。そう、以前「身体の恒常性(こうじょうせい)・ホメオスターシス」のところでも同じことを書いていた。あの恒常性を担っている具体的器官の一つが、この自律神経なわけである。

ちなみにたとえば、ジョギングなんかしているとき。

自律神経は、なんと1000分の1秒単位で、体温の調節を行っているのだという。運動によって体温が上がり過ぎないように。と同時に呼吸や心拍などの調節も同じく行っている。酸欠にならないように、と。

なので「疲労」というのは実は、筋肉の疲れといわんよりは、この自律神経の疲れ、なのだという。自律神経は、眠っているときでも働いているので、いわば24時間フル稼働組織だ。ジョギングのように1000分の1秒単位で働かされれば、そりゃ疲れもするよねぇ…ホントごくろうさまである。(『すべての疲労は脳が原因』 梶本修身著 集英社新書より)

自律神経って、こんなに大事な神経だったんか~。まさに縁の下の力持ち、我々の身体機能の屋台骨を支えてくれている。私たちが好き方題飲み食い出来るのも、トンデモないとこに行ってトンデモない行動取れるのも―超高い山に登ったりとか超深い海に潜ったりとか―この自律神経がマジメに怠りなくやってくれているお陰。いやそんな極端な状況でなくとも、人間として生物として、まっとうに生きてゆかれるのも、自律神経がちゃんと機能してこそである。大ゲサじゃなく、ホントに。


自律神経の大切さは、それが壊れた状態を見てみれば、如実にわかる。

自律神経失調症、という病気がある。自律神経の働きが失調、つまりバランスが崩れておかしくなる病気だ。その症状の記述をみてみると―。

『微熱、不眠、疲労感、食欲低下、衰弱、頻脈、記憶力減退、疼痛(とうつう)、めまい、息切れ、手足の冷え、発汗異常、下痢、便秘、嘔吐、排尿障害、月経異常、性機能障害、更年期障害、など』

(『最新決定版 家庭の医学』主婦の友社 2010年発行より)

とずらりと並んでいる。上は頭の脳から下はお尻の消化器官、末端は手足の先まで。その症状は、ほぼ全身に及んでいる。つまりそれだけ、自律神経が支配しているところは多い、ということだ。いやそれにしても、症状のなかの「衰弱」って、何気に怖くないですか…。

私もこのうちの幾つかの症状は、体験した。疲労感は言わずもがなだが、手足の冷え、発汗異常などは特に凄かった。

99年に、住んでいた団地内で有機リン系農薬を散布され、発作を起こしてぶっ倒れたことは以前書いた。それが最後のダメ押しとなってCSを発症したのだが、その直後など、私の体温調節機能はもうどうしちゃったの!? って思うくらい、メッタメタになった。

突然、全身がモーレツ暑くなり、額や頭皮からボタボタ汗が流れ出てきたかと思えば、あるときは俄然寒くなり、夏だというのに毛布をかぶってガタガタ震えたりする。手足も氷のように冷たい。身の内からの寒さなので、何をどうやっても寒くて仕方がないのである。

あきらかに、体温調節機能がおかしくなっていた。ということはつまり、自律神経が完全に狂っていた、ということだ。今ならばそれがよくわかる。もっとも当時は、

何だコレーー!!?

と思ってただけだったが…。

話を戻そう。

というわけで、「自律神経」、何となくわかって頂けただろうか? 一言でいえば、身体の置かれた状況、環境、あるいは行動に応じて、身体のありようをオール自動調節する神経、ということですね。


で。この自律神経、実は2つに系統が分かれている。系統、モード、チャンネルといってもいいかもしれない。

それが、交感神経(こうかんしんけい)と副交感神経(ふくこうかん神経)、である。

まず交感神経の方。この交感神経は、活動型モードを担当している。

私たちが活発に活動しているとき、あるいは何かに深く集中しているとき。そんなときはこの交感神経が優位に働いている。これを「狩りの神経」「闘争か逃走かの神経」などという表現もある。

たとえばあなたが、原始時代のサバンナとかで、野性動物の狩りに出ているとしよう。

身体は、臨戦態勢になっている。獲物が出て来たらすぐに走り、矢とか石オノとかで闘って捕まえなくてはならない。今夜の夕飯にするからだ。でも想定外の猛獣が出て来たら、一目散に逃げなきゃならない。下手すりゃ死んじゃうからだ。そんな、緊張感と興奮とが入り混じるある種のスリル感のようなものが、全身にギンギンにみなぎっている。

こんなとき、交感神経はさかんに働いている。心臓はドキドキ、脈拍早く、呼吸数も増えて息ハァハァ。そして獲物を見付けるべく遠くを見つめているので、瞳孔はカッと大きく開いている。戦闘準備オッケイ、ノルアドレナリンがバンバン出てる。

では副交感神経の方は、というと。こちらの副交感神経は、逆に休息・リラックスモードを担当している。

狩りも終って、まんまとしとめた獲物を火で焼いて食べ、満腹してそのままゴロリと横になりくつろいでいるとしよう。あぁ~、今日獲ったイノブタの肉は、なかなか美味かったべなぁ~などと思いつつ。まったり…。

こんなときは、副交感神経が働いている。心臓の鼓動はゆっくり脈拍遅く、呼吸も深くてゆるやか。緊張感のカケラもなく、全身ゆったりと緩んでいる。この場合瞳孔は、縮んで小さくなっている。リラ~ックス。

しかしこのとき、逆に消化管の方はさかんに働いている。胃や腸の動きは大いに活発。今さっき食べたから、ということもあろうが、そもそも胃や腸などの消化管は、副交感神経が働いているときに仕事をするよう出来ている。

考えてみればたしかに、狩りの最中―交感神経が優位のとき―に、お腹の方では消化吸収、なんて悠長なことちょっとやれそうにないよねぇ。


また睡眠というのも、副交感神経モードの担当である。睡眠はリラックスの極みだからして、副交感神経が断然優位、活発に働いている。

そういえば最近、不眠、夜眠れなくて困っている人が、大変に増えている、みたい。

それゆえか広告など見ると、ある時期から急に、”眠れる”マットレスとか枕とか、サプリメントの宣伝がぐっと多くなった。どうも皆さん、かなり不眠で苦しんでいる。

眠れないというのは、本当につらい。私も一時期ひどい不眠になったことがあるので、そのつらさは身に泌みてよくわかる。本当にもうノイローゼになるかと思ったくらい、つ、つらかったわ…。

睡眠にも実は、自律神経が大きく関わっている。

身体にはもともと日内リズムという、体内時計が備っている。身体が24時間サイクルで働くよう、インプットされているのだ。これは、主に目から入る太陽の光が、”キューサイン”となって働く。近頃さかんに「朝の日の光を見よ、浴びろ!」と言っているのは、この日内リズムを呼び起こすためだ。

自律神経は、この日内リズム、つまり体内時計とどうやら連携している。日が上るにつれ、交感神経は強く働くようになり、逆に日が暮れてくると、交感神経の働きは抑えられ、副交感神経の方が優位に働くようになる。だから本来は、日が沈んで夕方になってくれば、自然と眠たくなってくる…ハズなのだ。


ところが。

スマホやパソコン、テレビなどの強い光、ブルーライト光を夜見てしまうと、この体内時計が狂ってしまう。強い光刺激のせいで、身体が「え!?まだ昼?」と錯覚してしまうのだ。

また他にも、音の刺激、あるいは夜遅くまでの労働、などが加わり、交感神経の興奮がなかなか収まらなくなる。それで副交感神経にチェンジしにくくなってしまう。つまり、眠れなくなる。現代社会は、あらゆる面で「刺激」が強過ぎる世界なのだ。

だから「就寝前にはスマホを見ないように」とよくいうのである。

ちなみに、私が以前体験した強力な不眠というのも、原因は実はスマホだった。電磁波過敏症もあるくせに、欲しくて持ってみたのだったが、1日たった15分の使用を、3日続けただけで、夜1ミリも眠くならなくなってしまった。眠れない。眠りに落ちてゆかない。眠りの"穴"というものがもしあるのだとしたら、スマホ使用以前は直径30センチくらいあったのに、今は2・3センチ程度に縮んじゃった・・・という感じだった。にっちもさっちも眠れない。眠れてもひどく浅い。七転八倒。

スマホの使用は即止めたものの、結局戻るのに2週間近くかかった。こ、こえぇぇ…。


おっと、また話が外れてしまった。ハイ、戻します!

ここまでのことを、まとめてみますとー。

  • 私たちには、自律神経という、意志や意識の介在なしに、勝手に身体の機能を自動調節してくれる神経系(システム)がある。
  • その自律神経には2つの系統があり、一つを交感神経<活動型モード>、もう一つを副交感神経<休息・リラックス型モード>という。

自律神経は、この交感-副交感という2つの系統、モードを、時や状況に応じて使い分けたり、あるいは微妙に配合、ブレンドしたりすることによって、私たちの身体機能を全面的に支えている、のである。


と、ここまでが「自律神経」の話。さぁやっと、北里病院で私がやった、「瞳孔反応検査」の話まで戻りますよー。(ははー、長かったねぇ)

なぜ目を、しかも瞳孔を検査するのか。

それは瞳孔の動き方、つまり大きさや反応具合を調べることによって、自律神経の働き方がわかるからだ。自律神経に異常があるのかないのかが、やっとそれでわかるのである。

神経、というのは実に、やっかいな組織だ。

大変に異常を見付けにくい。また測定しづらい。肝臓とか腎臓みたいに、尿検査とか血液検査で異常値が出てパッとわかるならいいのだが、それが難しい。かといって脳をパカッと開いてみるわけにもゆかないし。(それに開けてみてもたぶんわからない)

神経の働き方の異常を、しかも外から見付けて測定するのは、実は至難のワザなのである。

しかしそれが唯一、出来るところがある。
「目」なのだ。

目を調べることで、神経の、脳の状態がわかる。昔「目は心の窓」なんてよく言ったが、実のところ目は、「脳の窓」なのである。


瞳孔は、暗いところで大きく開く性質がある。これは交感神経(活動型モード)が緊張することからくる。この大きくなった状態の瞳孔のサイズを、まず測定する。

瞳孔サイズが、通常の健康な人のサイズより、大きかったとする。と、それは交感神経が、正常よりも強く働いていることになる。

つまりその人は、交感神経が優位、交感神経寄りに片寄っている。ということになる。

逆に、瞳孔サイズが健康人サイズより、小さかったとする。とそれは副交感神経が、正常より強く働いており、だからその人は副交感神経優位に片寄っていることになる。

暗所での瞳孔の大きさから、その人の自律神経が、正常なのか、交感神経優位なのか、あるいは副交感神経優位なのかが、判別出来るわけである。

そして一瞬、フラッシュ光を当てる。

光を見ると、瞳孔はギュッと縮む。これは副交感神経が緊張することからくる。しかしすぐにまた元の暗さに戻るので、縮んだ瞳孔もまた元に戻る。今度はそのときの戻り具合を測定する。

戻り方が早い場合は、交感神経が優位に働いていることになる。

逆に戻り方が遅い場合は、副交感神経が優位に働いていることになる。

瞳孔を拡張させるのは、交感神経の方なので、その”力”がどっちに働いているかをみることで、交感-副交感のどちらが優位なのかが、わかるわけである。


『化学物質過敏症 ここまできた診断・治療・予防法』〔石川哲 富田幹夫 かもがわ出版 2003年発行〕によると、この「瞳孔反応検査」で、患者の約35%が正常、約45%が副交感神経優位タイプ、約14%が交感神経優位タイプ、という結果が出ている。

また別のデータでは、106名の患者のうち、30.2%が正常、36.7%が交感神経優位タイプ、26.4%が副交感神経優位タイプ、という結果が出ている。(論文「日本の化学物質過敏症患者の臨床的特徴-性別、年齢、アレルギー疾患、自覚症状、他覚的臨床検査結果-」 北條祥子 『臨床環境16』2007より)

どちらの結果でも、約6・7割の患者の自律神経に、異常が出ていることがわかる。

「奥野井さんの場合、この検査では若干の異常が見られました。光を見た後の反応速度は正常だったのですが、瞳孔サイズの方が、通常よりかなり小さくなっていました」 と医師の先生。

「は、はぁ…ということはつまり…?」

「副交感神経が、強く働いていることになります。副交感優位タイプ、ですね。だるかったり、疲労感が強かったり、体力がなくてすぐに疲れてしまうというのも、おそらくここからきていると思います。あとうつの症状も、たぶんそうでしょう。

有機リン系農薬でCSを発症した人は、この副交感優位タイプが多いんですよ」

なるほど、副交感神経も休息・リラックスモードであるうちはいいが、それが過剰になると、だるい、疲れる、何をやってもしんどくってうつウツモード、になってしまうということか…。


え、じゃあさ。

農薬の影響で、副交感神経が過剰になってしまうというならば、じゃあ交感神経の過剰は、どんな化学物質によって引き起こされるのだろうか?

と、それはシックハウスの原因物質の一つである、トルエンなのだという。塗料や接着剤等に使用されており、またシンナーの主成分でもある。

この北里病院受診より半年ほど後、私は当時住んでいた団地にも住めなくなり、急きょ静岡県伊豆地方へ逃亡することになる。そのとき現地で、やはり同じように逃げてきた化学物質過敏症患者の女性と、偶然知り合った。

彼女は、シックハウスでCSを発症した、かなりの重症患者だった。その彼女いわく、「交感神経のスイッチが入るのが、自分でもわかるのよ!」

何かやり始めると、止まらなくなると言うのだ。まるで高速モーターがぎゅんぎゅん回っているかの如く”活発モード”が止まらなくなる。何事も一気にダダダーッとつっ走ってしまい、とことんまでやってしまうのだという。

たしかに見ていても、行動力のある、もの凄くパワーに溢れた人だった。つねに低調低空飛行の副交感神経優位モードの私からすると、羨ましい位だった。しかし当人は、

「頭はいつもカッカとしてるし、イライラも強いし…苦しいわよ、すごく」

また活発なぶん、かえって反動が大きいのか、体調は崩れやすいようだった。風邪などを引くと、今度は一気にダウンしてしまい、「1ヶ月は寝込む」という。「感染症にすごくかかり易い」とも話していた。逆に私などは、アレルギー症状は強いのだが、風邪にはめったにかからなかった。

なるほど、同じ化学物質過敏症患者であっても、交感-副交感の優位タイプの別で、出てくる症状はかなり違ってくるのかもしれない。

もっともこれは、大雑把な区分で、そうくっきりと分かれているものでもないようだ。多くの化学物質過敏症患者は、この両方、つまり交感優位と副交感優位を、つねに行ったり来たりしている。まるでシーソーのように両極を、ぎったんばったんと激しく行き来しているのだ。実のところそれが、その落差と変動の激しさが、化学物質過敏症のやっかいで、非常に苦しむところなのだが。


最後に。

この「瞳孔反応検査」の意味するところを知った後、それが意外なところともつながっていたことを知り、驚いたことが一つある。

『とにかくむかむかするんです。吐き気というんじゃなくて、胃の上がむかむかする。』

頭の中がしびれてきて「膜がかかる」という表現が近いです。白いベールがかかってるみたいでした。何かを考えようとしても、思考がまとまりません。(-中略-)

筋肉の力は少しずづ抜けていくようでした。でも立っていられないというほどではなかった。頭の中の空白がどんどん広がっていくように感じられました。(-中略-)

電話をかけ終えた直後に、ちょっと重い空気を吸い込んだような気がしたんです。それでごほごほと咳込んでしまって。(-中略-)
そこからもう、体がうまく動かなくなってしまいました。(-中略-)

でもそこのベンチで休んでいるうちに、ますますひどくなってきました。もう息ができなくなっちゃった。(-中略-)その後まったく動けないようになってしまいました。(-中略-)

外に出ると、地面にビニールシートを敷いて、その上に電車のシートごと置いてくれました。(-中略-)でもとにかく、ものすごく寒かかったんです。異常に寒かった。手足の先からどんどん寒気がきます。「寒い!」って言ったらどんどん毛布をかけてくれた。(-中略-)

それから時間がどれくらい経過したのかもわかりません。腕時計を見るために腕を上げることもできないのです。(-中略-)

恐怖というか、「これからどうなるんだろう?」というようなことを、まったく感じなかったといえば嘘になります。でもどちらかというと、混乱してわけがわからなかったというほうが大きかった。命の危険までは考えなかったですね。というよりも、ほんとうに頭の中にはぼんやりともやがかかっていて、そこまでは考えずにすんだという方が近いですね』

もし、化学物質過敏症患者がこれを読んだだとしたら、これは「自分の症状のことだ」と思うだろう。自分が化学物質に曝露して症状が出て倒れるときと、まるで同じだ、と。

実は私もそう思った。「これって、私が農薬発作を起こして倒れるときと、まるきり同じじゃん!」と。

しかしこの”症例”の人は、実は化学物質過敏症ではないのだ。


1995年3月20日、東京の地下鉄車内に、神経毒ガスである「サリン」が散かれた。オウム真理教信者により、地下鉄千代田線、丸ノ内線、日比谷線の車内に、サリンが散かれたのだ。「地下鉄サリン事件」である。

被害者は、死亡者12名、中毒患者5500名余りに上った。28年前の事件だが、被害に遭った人たちのなかには未だ、後遺症で苦しんでいる人も多い。

引用したのは、この事件のときサリンを吸い込み、倒れ、病院に搬送された女性の証言である。村上春樹著『アンダーグラウンド』のなかで、「平山慎子 当時二五歳」として登場している。中毒被害に遭った人たちの中では、比較的軽症だった女性である。(『アンダーグラウンド』村上春樹著 講談社 1997年第一刷 p447~451より)

それにしても、何と化学物質過敏症の発作症状と、似ているのだろう。私の農薬発作と、まるで同じ過程である。

むかむか感から始まり、身体の力が除々に抜け、頭はもやがかかったようになる。そして最後は動けなくなり、その場に倒れ込む…。毛布をかぶってもかぶっても寒い!!というあの強烈な寒気、ところまでそっくりだ。

またこのとき、サリン被害者の人たちが口を揃えて言っていたのが、「視界の暗さ」だった。

『目の前が真っ暗なんです。別に痛くはないんですが、真っ暗になっている』(前掲書p149上段)『目の前がサングラスでもかけたような状態になってきたんです』(同p183上段)『目を開けたらもう真っ暗なんです。まるで映画館に入ったときみたいな感じです』(同p241下段)

これは、サリンの影響で瞳孔が小さくなったためだった。「縮瞳(しゅくどう)」である。サリン吸引の顕著な症状がこの「縮瞳」で、たとえば当時のニュース報道でも、さかんにこの「縮瞳」という言葉が飛び交っていたのを、私も覚えている。

瞳孔サイズが縮んで、小さくなっている―つまり私が、診察の折医師の先生から「瞳孔の大きさが通常より小さくなっています」と言われたのと、これは同じである。「有機リン系農薬で発症した人は、このタイプが多い」とも言われたことを思い出して頂きたい。

つまり私の目も、サリン中毒被害者ほど激烈ではないが、慢性的にこの「縮瞳」状態であったことになる。


サリン中毒と化学物質過敏症に、このように共通点が多いのは、偶然でも私のこじつけでもない。吸引した化学物質が、基本的に同じものだからだ。

サリンもまた、有機リン系物質である。

だから農薬と同じように作用し、同じような症状が出るのも、ある意味当然、なのである。

いやいやでも、一方は兵器としての神経毒ガス、もう一方は野菜、農産物に使用する薬剤、同じ物質といってもそれはいろいろ、違うんでしょ? とあなたは思うかもしれない。が、残念ながらそれは違う。

『第二次大戦以後、有機リン系毒ガス兵器の系譜は、その毒性を弱めた殺虫剤として受け継がれ、TEPP、パラチオン、DEP、シェラーダン、メチルジメトン等が農薬として市場に出たが、農業者の中毒事故が多発したため、さらに急性毒性の弱いMEP(フェニトロチオン 商品名スミチオン)、IBP(イブロペンホス)、DDVP(ジクロルボス)等に姿をかえ、現在でも使われている』(『農薬毒性の辞典第3版 植村振作 河村宏 辻万千子著 三省堂 2006年発行より』

戦時中に開発した神経毒ガスを、戦後になって(余ってたんですかね?)「平和利用」したのが、農薬のそもそもの始まりなのだった。だから「虫には効くがヒトには無害」と農薬製造会社が言うのは、はっきりいって嘘である。


『アンダーグラウンド』のなかで、著者村上春樹もそのことに驚いたのか、サリン中毒患者の治療を行った医師斎藤徹(救命救急センター医師)が、

『有機リン剤というのは、昔から使われています。それを自殺目的で飲んでしまう人も以前からちょくちょくいました。(-中略-)簡単に言ってしまえば、結局「有機リン剤がガスのかたちを取ったものがサリンであった」ということになります』

と説明したのに対し、

『―といいますと、有機リン剤を使った農薬を飲んでも、サリンと同じようにコリンエステラーゼ値が下がって、縮瞳が起きるということですか?』

と問い、斎藤徹医師から

『そのとおりです。まったく同じ症状です』

との回答を受けている。(同書p258~259より)

有機リン系農薬と神経毒ガスは、その起源も、作用も、同じ一つのものなのだった。

ならばそれは、こうも言えるのではないか。

私たちは、日常生活の中でつねに、「低毒性のサリン」を吸い込んだり食べたりしながら暮らしているのだ、と。

こんなふうなことも、北里病院クリーンルームで先生の話を、ただポカーンと聞いていた当時の私には、知る由もないことだった。

あのときの私は、「これでやっと、化学物質過敏症と診断された!」という喜びや安堵感と、「これからどうしよう…」という膨大な不安感とで、ただただいっぱいだった。

化学物質の怖さ、やっかいさ、特に農薬から逃げることがいかに困難なのかを知るのは、嫌という程それを体験するのは、これより少し後のことになる。

<参考文献>(文中紹介以外)

  • 『化学物質過敏症』(柳沢幸雄 石川哲 富田幹夫著 文春新書 平成14年2月発行)
  • 『絵でみる脳と神経 しくみと障害メカニズム第3版』(馬場元毅著 医学書院 2017年1月発行)
  • 『NHKスペシャル「人体~神秘の巨大ネットワーク」3(NHK取材班 東京書籍 2018年6月発行)

(このページは2023年4月~6月にブログで公開した物語を1つにまとめたものです)

 
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