世界の縁に立つ

世界の縁に立つ-私の化学物質過敏症 その7

それからの約3年間は、見ようによっては実にハランバンジョーな日々になった。引っ越しに次ぐ引っ越し、家移りに次ぐ家移りの連続である。住まいを転々と変えたこと、実に7回。そのうちの3回は、家族ごとの大々的な引っ越しになった。これはCS患者にはさほど珍しくない”CSあるある現象”の1つだが、それにしても難民のように各地を転々とするのは、経済的はもとより精神的にも、大変に大変だった。この過程でよくまあ家庭が崩壊しなかったものだ、と今でも思う。私の両親の強靭な精神力に、ただただ感謝である。

そして8回目に、今いるところへ至り着いた。甲信越地方にある、小さな村(当時)である。そこの土地を買い、家を建てた。家は、国産の木材とクギと炭化コルクという断熱材とホーローだけで建ててもらった。その家に両親と私と猫1匹とで、引っ越したのだった。

それでも、すんなりとは治るわけではなかった。その土地でも紆余曲折さまざまなことはあり、そのたびに倒れたり寝込んだりを繰り返した。ここも駄目かな・・・と思ったことも再三ある。しかしもう一度引っ越すことは不可能で、だからあとはひたすら、化学物質を避ける日々を積み重ねてゆくしかなかった。そうして何とか、やっと限定範囲内での健康を取り戻した。時間はかかった。越してきてから、約十年が過ぎていた。

第1章をイッキ読み

第1章の全文掲載完了に伴い、日々のブログ記事を1ページにまとめたイッキ読みのページをご用意させていただきました。
長文となりますがご興味をいただけましたら、お読みいただけましたら幸いです。

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奥野井タリカ 私の化学物質過敏症(CS)

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