CS三界に家がない!

9-31 父のリタイア

何とかかんとか、N県から東京М市まで戻ってきた。ほとんど決死行だ。そしてさあいよいよ明日は、ここも脱出し静岡県下田へ向かう。

夜になって、父も帰宅してきた。

「ただいま~」と言いながら出迎ると、父も「何とか無事に帰れたか」とややホッとした様子。

そしてなんでかその夜は、宴会となった。久々に家族3人が揃うので、母は張り切って料理を作り、そのごちそうが食卓に並ぶ。みんなで乾杯。カンパーイ。

けっこう切羽詰まっている状況なのかと思うのだが、こういうとき我家はあまり、というかほとんど悲観しない。行け行けドンドン、よっしゃー、明日は下田じゃぁぁ、レッツゴー!!というモードになる。父も母も私も3人ともそうなのだ。能天気なのか?

父はさかんに、下田というところの良さを私に話して聞かせる。

「いいところだぞ。まず空気がいいし、あったかい。海はすぐそこだ。ちょっと下って行くともう浜に出られる。緑も濃くて、ここ関東とはまた違った常緑樹がモコモコ繁っている。ああいうのはいいな。明るくて、開放的で。都会みたいにギスギスしていないのがいい。住むなら南だな」

と何やら、私よりずっと下田へ行って住みたいような勢い。

そもそもなぜ、父は今回こんなに早く動いてくれたのだろう?

私がN県で意識障害の発作を起こした、という話を聞いてもう翌々日には、下田へ下見に行っているのだ。これまでのことを考えたら、電光石火ともいえる早さではないか。

実は父は、この3月末に、退職勧告を受けていたのだった。「70才以上の役職の人は全員、6月までに辞めてくれ」というのが会社の方針で、父もこれに引っかかったのだ。

退職勧告を告げられた日は、さすがの父も、動揺を隠せなかったという。母の話では、「あんなパパは今まで見たことがなかった。どうしたらいいのかわからないってふうで、混乱していて…」

合成化学の研究者として、父は長らく、医薬品の研究開発の仕事をしていた。しかしこの頃はすでに、医薬品は合成より分子生物学やバイオテクノロジーを駆使して創薬をするようになっており、時代が変わってきていた。

しかし父は、研究、という仕事が本当に好きだった。私はおよそ父の口から「研究がつらい」という言を聞いたことがなかったし、また幼少の頃より家で見る父の姿というのは、ほとんど「文献を読んだり論文を書いたりしている父」というものだった。まさに天職、だったのだと思う。

そんな父であったので、退職はつらかっただろうと思う。けれど4月のある日の日記に、父はこう記している。

『研究をやめることも一種の勇気だ。古いものを継続しよう、とすることはとりもなおさず、新天地への恐れを意味している。

それに人々が私にいてほしくないと言うのは、私がもう古くさくなったからだ。古い殻は捨てるべきだ、こちらとしても。さもないと未来は閉じてしまう。

それに新しいものは、ワクワクする程面白いものがあるかもしれない。不安定要素こそ歓迎すべきもの。停帯は、心が腐ってゆくだけだ』

父は父で、このとき新しい世界を、「新天地」を求めていたのかもしれない。そしてそこに私のCS避難が、上手くハマったのだ。

ときどきこういう、「天の配剤か!?」ってことが起きる。粘ってあきらめなかったご褒美のように。

つまり父の退職で、私たち一家はもう、東京M市の家に住み続ける必要がなくなったのだ。

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