逃げろ。逃げ出せ。
唯一の方法はやはり、それしかないように思えた。このゴミ焼却施設に囲まれた空気圏 ―実はやや遠くにもう一つ焼却施設があったのだ! しかもこっちの団地がどんぴしゃ風下に当っていた― から脱出すること。それしかない。この急速な過敏症状の進行は、どう考えても間違いなく、ここの空気が作用しているからだ。ここに住めば住むほど、症状はひどくなる。早く逃げねばならぬ。
なのにそれが出来ない。
重々わかっているのに逃げられない。
このね、わかっているのにどうしても、どーーーしても逃げらんないというこの嫌さといったら、ちょっとなかった。ものすごく嫌な感じだった。何というのか、背後が断崖絶壁で逃げられないのに、前からブルドーザーが自分めがけてやって来るのをただじっと見てなくちゃならないっていうのか。上空から毒ガスが降ってくるのが前もってわかっているのに、その場所から逃げられないっていうか。それくらいもう”嫌な感じ”なのだ。
だって確実に、そのことによって身体が弱ってゆくのが、もう目に見えてわかるから。
と、こんなストレスフルな状況下に置かれていたわけで、だからたしかに私は、十分絶望はしていた。もうズブズブだった。「死にたい」と思わん方がちょっとおかしいかもしれない。実際毎日毎日、あぁ死にたいこんな人生もう終わらせたいと、繰り返し思っていた。
でもたぶんそう思うことで私は、本当は自分を慰めていたのだ。心の中で「死にたい!」と言い放つことで、天とか神さまとか今自分に対してひどく過酷な仕打ちをしてくる運命みたいなものに対して、抵抗もしていたのだ。異議を申し立てていたのだ。
なんで!? なんでこうなるの私の人生!? ひどいじゃないか!! と。
死にたい、死んだ方がマシ、もっとつらくなったら本当に死んでやるわ!! と思い続けることで逆に、私は何とか生き伸びていたのだ。「最悪死んじゃえばいい」と極限を想定することで、もう少しやってゆけそうに 思えるからだ。だから「死にたい」は、私にとっては呪文というか、必死なおまじない、のようなものだった。思うだけでよかった。
そう、思うだけならば。
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