家の裏のりんご園の農薬から逃れるべく、N県を脱出、そうして何だかあっという間に伊豆半島の突端、静岡県は下田市まで来てしまった。流れ流れて~南国下田。
アパートの引っ越し荷物が大体片付くと、私はさっそく周辺の散策に出た。てくてく歩きながら、自分とこの見知らぬ町を近付け、なじみになってゆく。
見る風景、すべてが新鮮だった。モコモコと、まるで巨大ブロッコリーのように繁っている森の樹々、おにぎりを見るようなきれいな三角形の山、照る日差しは明るく、しかしそのぶん影も濃く、ちょっと木陰に入るとわっと暗くなる。その強烈なコントラスト。何だか別の国にいるようだった。そしてそこを吹き抜ける空気は、もわっとした湿り気を帯び、あたたかい。湿度はかなり高い。
しかし歩いていて何がびっくりしたって、普通の民家の庭の木に、でっかい夏みかんの実がドボーンとなっていることだった。見ると隣にはビワの実も。さして手入れされてるふうもないのに、勝手にどんどん実をつけるらしい。いやーすごいっ!
そんな感じで4月中旬に越してきて半月余りは、体調もすこぶる良かった。身体は軽快だし、昼間そうやってよく歩くから夜もよく眠れる。何よりもう、家の裏のりんごの農薬散歩に脅えずに済むのだ。その解放感!
いやー、もう私ずっとここに住もうかしら。この下田で何か仕事をさがして、働こうかしら?
そんなことも考えた。ここの家賃と生活費を自分で払えれば、私はまがりなりにも親から独立し、自立することが出来るわけだ。何でもいい、何か仕事をして、収入を得たい。
自立。
独立。
この言葉にどれほど私は憧れ、求め、そして苦しめられてきたことだろう。
これまでも何度か、アルバイトには挑戦したのだ。学生時代はコンビニ、体調が今一つになってからもスーパーの朝の品出し、等。図書館で書架整理のボランティアをしたこともあった。
しかしことこどく、途中で駄目になった。「疲れ」がでてどうしてもそれ以上続けられなくなる。いつもこの謎の「疲れ」、重い倦怠感に行く道を邪魔され、阻まれる。
そもそもこれを、「疲れ」としか形容出来ないのがいけない。私の「疲れ」は、朝起き上がることも出来ず、指一本動かすのもつらい、という状態なのだが、そこは伝わらない。
だからたいてい「精神的なもの」と思われ誤解されてしまう。まったくあいつは、何やってんだろね。いつまで働かないつもりなんだろう?
そんな周りの視線は、つねに感じていた。
「そろそろ働いて自立したら?」
働いている友人にそう言われるたび、胸にトスッと何かが突き刺さり、痛んだ。そこからじわじわと滲み出てくる、言いようのない悔しさ、焼け付くような屈辱感。それが出来るなら。なぜそう思うんだろうか。私が働かないのは、働きたくないと思っているからだ、と。働かないのではなく働けないのであり、本当はどんなに働きたいと思ってるか、切望しているかなんてことは、彼らは想像しないのか。そっちの方が、ずっとつらいということも?
でもそれも、ここでなら上手くいくかもしれない。ここ下田の地なら、私も「普通の人」のように、「普通の健康な人」並みに、働いて自立出来るかも。ええー、本当に!?
そんな希望が、少し見えてきた気がした。

いや~もうそうなったら、私下田人?もう下田人になっちゃうか!?
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