反応物が、日に日に増えてくる。
ということはつまり、私の化学物質過敏の症状が進んでいるということだ。それも一日単位で進行している。日々刻々と亢進している。
怖かった。これは本当に怖いことだった。まともに考えたら、ちょっと気がヘンになるんじゃないかと思ったほど。
一つのものが使えなくなる、というのはただ単純に「それが使用不能になった」というだけのことではないのだ。それを使っていた生活、その日常ごと失うのである。水性ボールペンが使えていた日常、新聞や広告を平気で読めていた日常、コンビニで買った菓子パンを食べたり好きに買った服を着たりしていたあの日常を、ごそっと失うのである。
そういえばこんなこともあった。
ある日外を散歩していて、急に何やらフラフラしてきた。足がもつれる。どっと疲れてもくる。あれヘンだな、と思いふと足元を見ると、植込みのところに昨日までは見かけなかった、白い粒状のものが散かれていた。問い合わせてみると、それは除草剤だった。
もう私は散歩すらできなくなった・・・
そう思うと泣けてきた。実際泣いた。そしてその日の晩、帰宅した父に半ばベソをかきながらこのことを告げると、
「散布された2、3日は散歩しなけりゃいいじゃないか!」
と一喝された。いやその通りっちゃあその通りなのだが、でもそういうことじゃないのだ。植込みに何を散かれようが、平気で散歩が出来ていたあの日常が、もはや完全に過去のものになっていたのが、そうやって失われていったことが、とてつもなく悲しかったのだ。
こんなふうに私は、一つずつ日常を失っていった。生活はそのたびに狭まり、端からポロポロと崩れてきた。自分の手から一つ、また一つと日常が切り離されてゆく。その一つ一つに私は泣き、絶望し、そして結局は諦める。そうこうしているうち絶望はいつしか大きな黒い穴となり、その中にいる私は悪態を付きながらも、心はいつしかスカスカになってゆく。
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