CS三界に家がない!

9-21 神社をハシゴ

これを書いていて、こんなことを思い出した。

東京M市のこの家で迎えた、初めてのお正月。2001年のこと。

元旦は、父と母の二人で、近所の神社へお参りに行った。化学者のくせに父は案外神心深いところがあり、お正月には必ずどこかの神社へお参りに行って、破魔矢を買ってくるのがいつもの習いだった。この日はなんでか、お参りは一社で終わらず、その後四社も神社を廻ったのだという。「神社のハシゴ」である。

翌二日の日は、私も行くことに。父の運転する車に乗り、またもやあっちの神社こっちの神社と、「神社のハシゴ」参りになった。

「こんな掛け持ちしたら、それぞれの神さま怒んないかな?」と私。そう言う横から助手席の母が、地図をめくりながら「あ、もうちょっと行った先にも神社マークあるよ」と言い、父は「よし、じゃ次はそこ行こう」と言って車を走らせる。

神社マークはあるのだが、行ってみると古びたものが多く、枯木のような鳥居と小さなお宮しかない、無人のものが多かった。神社というより祠に近いような。それでも誰かが管理はしているらしく、真新しい白い布だけはかけてあったりした。着くと一応車を降りて、ガラガラと鈴を鳴らし手を合わせる私たち。

七、八社廻ったところで、日も暮れてきた。

「どうせならもう二社行って、十社にしようよ」と私が半分悪ノリして言うと、父もその気になって、「そうしよう、ママ、どっかにない?」とナビ役の母に訊く。母も張り切ってまた地図をめくり出す。

そんなふうにして、もう日も暮れかけているのに、父の運転する車で走りに走ってゆく。そうしてあの家から、離れれば離れるほど、私も母も父も、何かからどんどん解き放たれていくような不思議な感覚の中にいた。あのお正月二日の日は、何だったんだろう。何がそんなに楽しかったんだろう。その楽しさのなかにどこか、三人おのおの少しずつ”楽しいフリ”が入っていて、そうしてお互いを思い遣っている。壊れかけているものをこれ以上壊れないようにしている。そんな気配が三人の間に、淡くうっすら流れている。

車をどんどん走らせてゆく父と、その隣で地図を見ながら道をナビする母。二人の後からときどきやいのやいのと言う私。奇妙に明るく、そしてどこか物悲しくも見えた、見知らぬ遠い街の風景。

東京M市の家で迎えたお正月は、この一度きりになった。

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