CS三界に家がない!

9-29 シモダって何処?

「決めてきたぞ。下田だ。来週には下田に移ることになる」

東京の父から、N県にいる私にそんな電話がかかってきたのは、4月の上旬頃だった。

下田、といわれてもそれがどこのことか、恥ずかしながら最初はさっぱりわからなかった。シモダ?下田? えーとそれって、何県?

静岡県の下田であった。伊豆半島の相模湾側の先っぽにある。下田港という港があり、その昔幕末の頃アメリカの黒船、ペリーが来て開港を迫ったのも、この下田港だった。今では温泉などの観光地になっている。

この下田に、急きょ私は行くことになったのだ。農薬から逃れるために。まぁ何てまぁ。

何だか怒濤の展開だった。東京M市のごみ焼却空気から逃れるべくここ甲信越地方のN県に来たのが、3月中旬。しかしこの父の別荘でも、周りのりんご畑の農薬が原因とみられる意識障害の発作が起きてしまった。もうここにも長くはいられない。どこかへ、逃げないと。

「発作を起こした」と話を聞いた父が、今度は早々に動いてくれた。そして避難先として選んだのが、この静岡県の下田だったのだ。

それにしてもなぜ、下田だったんだろう? 父の考えでは、理由は3つほどあった。

・海に面しているので、つねに正面から海風が吹き抜ける。(=多少の化学物質があっても滞留しない)
・果樹園がない(=農薬がない)
・観光地なので閉鎖的ではい。(=新しい人も受け入れられやすい)

「アパートももうだいたい決めてきた。行って一泊仮泊まりして決める。地元の不動産屋のオバサンがなかなかやり手のいい人でな、化学物質過敏症(CS)のこともよく知っていたよ」と、電話口で父が言う。

「え、なんで?」
「下田に逃げてくる患者が多いんだそうだ。俺が考えたのと同じような理由で、みんな下田に来る。だからこちらの事情を話しても、向こうは全然驚かなかったよ。いろいろ、特別な配慮もしてくれた」

そんなに大勢、逃げてくるCS患者がいるのか・・・驚きだった。私と同じように、どの患者もまるで流浪の民、いや難民のように、化学物質を避けるため必死で逃げ回っている。・・・何ということだ、これは。

ともあれ、私も早く逃げなきゃならない。さっそくN県のこの父の別荘を出て、下田へ。

しかしさすがに、ダイレクトにN県から下田へ行くわけにはいかなかった。両親と合流するためにも、一度は東京M市の家に戻らねばならない。あのごみ焼却の汚染空気のただ中に。ううう・・・大丈夫かそれ。戻れんのか私は。

一度ラクな環境に身を置き、再び汚染空気地帯に戻ると、私はいつも激烈な症状に見舞われる。反応性が、以前よりずっと強くなって出てくる。

おそらくそれは、一度ラクな環境に身を置いたことで、離脱状態が始まってしまうからだ。それで以前はマスキングされていた反応性が、そのマスキングが外れ表に出てくる。

これまでも何度となく、そうだった。一度どこかへ逃げ、再びそこへ帰ってくると、驚くほど激しい症状に襲われ、えらい目に遭う。

そもそも、行けるんだろうか・・・?

今回は、新幹線や電車、バスも乗り継いで自力で戻らねばならない。これら公共機関の乗り物にも、私は反応し始めている。大丈夫なのか。行けるのか本当に?

しかし行くしかなかった。どうでもこうでも行くしかない。

でないとここから、このりんご農薬地帯からは、抜け出せない。

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