とにかく開けた窓を閉め、這いつくばって部屋の外へ逃げた。居間の方では両親がまだ起きていて、テレビを観ていた。
た、たすけてー・・・
そう言おうとしたが、言えなかった。しゃべれないのだ。なぜか口から声が1つも出てない。と同時に「助けて」という単語も、思い出せなくなっていた。私は何を言おうとしていたんだっけ?どういう言葉で??何も出てこない。空白だ。頭の中に言語スクリーンというものがあるとしたら、それは完全に真っ白で、キーを打てども打てども画面に言葉が出てこない、そんな感じだった。失語症状態というのはこういうことをいうのか。何かに閉じ込められているかのようだ。
仕方ないので「あー」とか「うー」と唸り声を上げ、両親が気付いてくれるまで、それを続けるしかなかった。
これが私の、一番最初の発作だ。農薬による発作だった。そしてこの日を境にして、体調は坂道を転げ落ちるようにして悪化していった。本当に、「坂道を転げ落ちるように悪くなる」というのはこういうことをいうのか、と思ったほどの、あっという間の悪化ぶりだった。日一日と、いや刻々と、身体がおかしくなってゆくのがわかる。これまでは何とか、追い詰められてはいても崖っぷちのきわきわで踏み留まっていたのが、ついに落ちたのだと思った。身体はこれまでとは、全然別次元のレベルに入り、新たな様相を見せ始めた。つまり私は、化学物質過敏症を発症したのだった。
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