世界の縁に立つ

世界の縁に立つ-私の化学物質過敏症 その3

病名が付かない。疲労感、アレルギー、うつ・・・症状はあるもののどれも中途半端過ぎて、一つの病気にまとまらないのだった。仮に病院へ行ったとしても、アレルギーはアレルギー科で、うつは精神科で、と各科で診察を受け薬を受け取るだけ。でも何か、それは違うような気がしていた。

何だかよくわからないまま、宙ぶらりんな生活を送っていた。寝込むほどの重症ではないのだが、かといって働けるほど軽症でもない。体調にひどく揺らぎと波があるので、アルバイトも無理。何にも属せないまま、ただ漫然と日々を送るしかなかった。それはけっこうつらいもので、何かじわじわと少しずつ、社会から離れ、遠い崖っぷちの方へと追いやられてゆくような、そんな感じがあった。友人知人が、就職してどんどん社会となってゆく姿を、ただ見ているだけしか出来ない。

それでもまあ、自分なりに何とかやってはいた。「女には『家事手伝い』という便利な身分があるんだぜ~」などと吹きながら、体調の良いときはもっぱら家の家事を手伝っていた。ゆっくりと養生していれば、いつか良くなるだろう、とわりと楽観的に考えてもいた。

そして、そんな宙ぶらりん生活も3年目に入ったこの年、99年。
年始めの冬から、体調ががくんと落ちた。例年冬は比較的体調が良いのだが、なぜかこの年は違っていた。疲労感は一層強くなり、うつもひどい。アトピーの悪化はさらにひどかった。あれこれ対策を立ててやってみるものの、体調の下降は一向に止まらない。「体力」という燃料タンクがあるのだとしたら、その目盛りが日一日とどんどん下がっていってるような感じだ。タンクの底に穴でも開いているのかいな。

この夏を越せるのだろうか・・・?

第1章をイッキ読み

第1章の全文掲載完了に伴い、日々のブログ記事を1ページにまとめたイッキ読みのページをご用意させていただきました。
長文となりますがご興味をいただけましたら、お読みいただけましたら幸いです。

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奥野井タリカ 私の化学物質過敏症(CS)

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