仕掛けられたうつ(chaptor2)

7-16 父と母の思い込み

注意! 本章には、かなり強いうつ、自殺衝動の描写があります。フラッシュバックやPTSD等を懸念される方は、どうぞ体調を優先なさってくださいますようお願い申し上げます。

このことがやっとわかって、一つ大変に良いことがあった。家族の、私の父と母の誤解が解けたのだ。

私が化学物質過敏症という病気だ、ということは両親も理解していた。だから排気ガスに私が激しく反応するようになると、横浜から東京M市のこの家に引っ越しまでしてくれたのだ。

けれど、私の過敏症状がその後も進行し、排ガスのみならずより身近な、そしてより微量な化学物質に反応するようになると、父も母もついてゆけなくなってきた。悪いことにうつの症状も次第に強くなったので、それで余計に父も母も、

これは精神的なものじゃないか・・・?
と思うようになる。たとえば父はよく私に、
「もっとリラックスしろよ」
「もっと楽に考えれば、身体も良くなってくる」

と言っていた。それはあたかも「うつうつとしてるから化学物質にも過敏になるのだ」と言わんばかりだった。精神状態、心のありよう、気の持ち方、が身体に作用しているのだと。どこかで父はそう考えていた。

それに対し私はいつも不満だった。不満というより心外だった。違うと思ってたからだ。違う、そうじゃない。それは身体の「直勘」みたいなものでわかっていた。しかし「じゃあ何なのか」と問われれば答えようもないから、ただ黙ってむっとしていた。してるしかなかった。

母もまた、父とほぼ同じように考えていた。また母の方がより日常的に私のうつに振り回されてもいた。

「あのM市の家にいた頃、あなた夕方になると泣くのよね。決まって泣いてた。あれは本当にしんどかった…」

と後々言うくらい、私のうつはひどかったらしい。当の本人はほとんど覚えていないのだが。

うつの症状が突出してひどかったので、父も母もだんだん考えが揺らぎ、娘は実は「私は化学物質に過敏である」という妄想を多分に抱いた、精神の病いに罹っているのではないか?とそう思うようになった。

両親共に、そう思っているらしきことは嫌でも伝わってくる。あるとき私は、あ、父も母ももう私のことは放棄した、捨てたな、と思う瞬間があった。私は彼らのそれまでの日常をぐちゃぐちゃにする。破壊している。もう私は両親の手には負えない。だから「捨てた」んだな、と。

恐しく、孤独な場所に立っていた。私は、誰もいない何もないところに 一人でいた。

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