じゃあそんな父が、化学物質過敏症のこともすんなりと理解してくれたか、といえば、実のところそんなことはなかった。やはりかなりの時間がかかった。特にこの東京M市の家にいたこの頃の父は、CSという病気を直視することから目を30度ほど斜めにズラしていた感がある。そうして「理解する」ということ自体に、うっすら抵抗していた。
その為、よく”過小評価”された。私からすると、これけっこう大変なことじゃない?
大変な症状が出ているんじゃない? と思うようなことでも、父は「たいしたことはない」と言い過小に過小に解釈する。そしてそれ以上取り合おうとしない。
これは以前にも書いたことだが、あるとき散歩に出て団地内を歩いていると、急に頭がくらくらとし、足ももつれフラフラになってしまったことがあった。ふと見ると、植込みに昨日まで見かけなかった白い粒状のものが撒かれていた。業者に尋ねてみると「肥料ですよ」と言うのだが、それだけじゃないと思い、
「でもその肥料に、除草剤も混じっていませんか?」
と当てずっぽうで訊くと
「何でわかるんですか!?」
と驚かれた。
「いや私、その除草剤に反応しちゃうんで」
「はー、そうなんですか…」
そのことを父に言い、「もう散歩すらまともに出来なくなった…」と私が嘆くと、
「作業があった2、3日後は散歩しなけりゃいいじゃないか!」と一喝された。
いやお父さん、パパ。私は何も散歩が出来なくなったことをただ嘆いているんじゃないのよ。じゃなくて、そんなパラパラッっと撒かれた肥料に、そこに含まれる除草剤成分に、こんなにはっきりと反応してすぐフラフラになってしまう我身体の過敏症を嘆いたのだ。
だってこれ、どうしたらいいんだろう? あきらかに症状は進行していて、過敏症も増している。どこまでいっちゃうんだろう、私の身体は。どこまで崩壊してゆくんだろう、私のこれまでの日常は。足元の地面が崩れ、パラパラと落下してゆくような感触。その昏いところへ沈んでゆく自分。恐かった。しかしその恐怖は、父にも母にもなぜかちっとも伝わらない。
そんな恐怖からなおも私が嘆いていると、父は
「お前がいると、家の中が暗くなる!!」
と言った。そう言われてしまったらもう、こちらは黙るしかなくなる。重苦しい空気の中、無言でその場を離れ、トイレか布団にもぐって息を殺して号泣するしかなかった。母一人が、いつも私と父との間でオロオロとしていた。
こんな修羅場のような光景は、CS家庭では数限りなく繰り返されているに違いない。私の家でも、まったく例外ではなかった。
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