「化学物質過敏症(CS)を理解する」そのことに抵抗を示していた(らしき)私の父。
しかし不思議なことに、身の廻りの生活用品や食べ物などを”脱化学物質化”することに関しては、父はまったく抵抗しなかった。
シャンプーや洗濯洗剤、台所洗剤等の合成洗剤を撤廃し石ケン一つにする事にも「昔は何でも石ケン一本だったよ」と言って難なく理解してくれたし、食べ物も無農薬無添加のものに切り換えることも「こっちの方が味がいい。昔の味がする」と言ってむしろ歓迎していた。飲料水を、水道水からミネラルウォーター購入にする際はさすがに値段にブツブツ言っていたが、「まあ仕方ない」と許容した。
つまり父は、洗剤のなかに、食べ物のなかに、水道水の中に、そして排気ガスのなかにも、人体に有害な「化学物質」が入っているということ、そこははっきりと認識していたのだ。
何を当たり前のことを、と思うかもしれない。が、実は意外とこのことをきちんと認識していない人が多いのである。
化学物質は、目に見えない。そしてほとんどそれ自体は無味無臭だ。その化学物質を「そこにある!」と騒ぎ立て「やめて!!」と言うのは、それを敏感に感知するCS患者だけ。
家庭内で、化学物質の存在を感知するのは患者のみ、他の家族はまったく感じない、という状況だった場合、行き着く最も安易な結論は、「否定」だ。
そんなものはない、存在しない。「化学物質なんてものがーしかも人体に有害な化学物質なんてものがーそこに入っているわけがない。この空気中に漂っているわけがない。
化学物質過敏症(CS)を否定する人は、同時に化学物質自体否定しているのである。
けれど私の父は、そうならなかった。なぜだろうか。実は父は、化学者 だったのだ。
科学者と化学者。音が同じなので後者のことを、業界では区別するため”バケガクシャ”というらしいが、ともかく父は化学者で、化学畑の事をしていた。医薬品の研究開発、抗生物質の化学合成、というような仕事を。
だから当然「化学物質」のことはよく知っていた。専門であり、いわばそれが「商売」でもあった。
がゆえに、父は「否定」したくとも出来なかった。逃げることが、出来なかったのである。
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