自殺願望なのか? いやこれはもう願望などという生易しいものではなく、自殺企図、実践計画だった。はっきりとやる気なのだった。
自分でもどこかでわかっていた。この地蔵の如く固まってるのを解除し、少しでも身体を動かしてしまったら、もう駄目だろうと。足は自然とベランダの方に歩き、手はドアノブを回して、ドアを開けてしまうだろう。そして外に出てしまったらもう、どうあっても止まらない。自分でも止められない。
8割の私が、そうなっていた。この嵐のような誘惑に完全に乗っ取られていた。侵略されて、主導権を握られているようなものだ。乗っ取られているのは身体と脳で、主に脳の方がひどかった。だって脳内ではさっきからずーっと、
もうこれしかない!
これ以外の道はない!
だからもうこうしなければならんのです!
というわけのわからない3段論法をずっとわめき散らしている。そしてぐいぐいと、まるで軍隊の上官みたいな強硬姿勢で、私に遂行を迫ってくるのだ。やれ、ヤレ、と。この強制力はものすごく強く、がんじ絡めに私を縛っていて、ちょっとやそっとのことではどうにも解けないし逃げられなかった。じっと地蔵化して耐えてるのがやっとだった。私の中の8割が、すでにこんな状態になっていたのだ。
しかし。残りの2割が、猛然とこれに抵抗していた。反抗していた。大声を張り上げ必死に、こう言っていた。
いや待て。
いやちょっと待て。
なんで私が、死ななきゃならないの!?
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