そんな父であったので、無論車の排気ガスにも敏感だった。自分でも運転するかなりの車好きだったが、渋帯に引っかかるとすぐ
「どっか裏道ないか!?」
とナビの母に探すよう言う。また運転中もよく、
「ここは空気が悪い。排気ガス充満地帯だ。早く通り抜けよう」
と言ったりしていた。やっぱり鼻が敏感。そしてたまたまそんなとき、その道路沿いのマンションのベランダに洗濯物が干してあるのを目にしたりすると、
「干しているんだか排ガスに曝しているんだか、わかったもんじゃない」
と顔をしかめ、
「あれじゃあ病気になる」
と言った。
言い方はいつも辛辣なのだが、その根底にはいつも「あれじゃあ病気になる」という視点があった。その視点から物事を見ていた。多分に医者的感覚が強いのだ。だからなぜ、一般の人たちがこうも「空気」というものに無関心なのか、と不思議に思っていた。憤慨すらしていた。
そういう父だったから、横浜の家で私が周近の排気ガスに激しく反応し、もうこの家には住めません!」となったときも、びっくりする程あっさりと「じゃあ引っ越すか」となったのだった。これはフツーのお父さんではまずあり得ないことだ。
「空気」に敏感、「空気」というものの存在がちゃんと見える。そんなフツーではない父であったことが、このときは何よりも幸いしたのだ。
コメント