CS三界に家がない!

9-17 家庭の破壊者?

今思うと、この東京M市の家にいた頃が、一番家族として危うかった時期、のように思える。私の化学物質過敏症(CS)を巡って、家族が、家庭そのものがバラバラになってしまいかねなかった。

CS患者は、ある意味「家庭の破壊者」になりかねないところがある。家の中にある身近な化学物質に反応し、それによって症状が出て苦しくなる患者にとって、その化学物質発生源の物は「敵」だ。どうしたって「敵」になってしまう。

苦しいので、当然のこととしてその曝露を避けようとするし、家から撤去しててしまって欲しいと思う。そしてそのことを、同じ家に住む家族にも結局強いることになる。望んでいるのではないのだが、苦しさゆえにどうしても。

その化学物質が、代替品に変えることで簡単に避けられるものならばまだいいのだ。合成洗剤、食品、衣類等ならば、まだ何とかなる。

しかしたとえばそれが、家具にまで及んだら?どうだろうか。

合板製の家具には、接着剤が大量に使われている。合板の板そのものが、細かい木材のチップと接着剤でギュッと集成し貼り合わせて固めたようなものなのだから、ある意味化学物質の塊だともいえる。それら化学物質は容易に揮発し、外に出てくる。それにCS患者はやられる。

ある日突然、家に置いてある家具が、患者にとっては”凶器”になる。ガラリと変わる。においを感じてそれが耐えられなくなる人もいるし、近寄るだけで頭痛や吐き気を催す人もいる。そこにあるだけで、もう苦しい。

しかしその家具を、では捨てられるだろうか?

患者当人にとっては、苦しいのでもう何の未練もない。むしろ一刻でも早く、家から出てしまって欲しいと思う。けれど他の家族の人は、そう簡単に割り切れるものではない。

長年使ってきた、愛用していた家具。椅子やソファ、食卓や学習机、食器棚や本棚。なじんできた物で、愛着もある。家族のこれまでの日々、歴史のようなものも染み付いている。なぜこれを、捨てなきゃならないのか?

同じ家具を巡って、一つ屋根に住む患者と非患者とでは、見え方が違う。全然違ってきてしまう。そこがこの病気の難しい、そして特異なところだ。家族の間に深い断絶、溝が生まれる。

残酷なところは、この深い溝や断絶を、患者の方が歩み寄って埋める、ということが極めて出来にくいところだ。そうしたくても出来ない。身体を痛め付けてくる化学物質と、その”凶器”と、どうして生活を共にすることが出来るだろうか?

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