北里病院・魅惑のクリーンルーム

3-17 タダでは倒れぬリンケル氏

ところが。それからしばらく後、今度は別の考えから特定の食品を一定期間食べないようにする、つまり除去食の効果を試していたリンケル。たまたま卵も、その除去食リストの中に入っていた。

卵除去食の、その6日後のことである。友人の結婚式のパーティーがあり、リンケルはそこで、出されたケーキをほんの一口食べた。たぶんおそらく、かなり無意識に。

と、その2分後。突然リンケルは脱力して卒倒、その場で気絶してしまった。数分後意識は取り戻したが、周囲は騒然、本人は呆然。何が起こったのか、まるでわからない。

が、しかしそこは医者である。リンケルはすぐに、「これは食物アレルギーの根本的な性質に関わる、何か重大な現象なのではないか」と考えた。

つまり、卵を多食しているときはかえって反応は隠されてしまい、しかし卵を一定期間断つと、真の反応性が表に出てくるのではないか、と。反応する物を一定期間避けることで、何かが起きるのだ。

この仮説を基に、リンケルはもう一度、自らの身体で実験してみる。数日間卵を除去し、その後わずか食べてみた。すると仮説通り、やはり卒倒し気絶した。うむ、間違いない。

この自らの体験が、「隠れ型アレルギー」の発見につながった。その後数年をかけリンケルは、臨床例を充実させ、この事実への確信と自信を深めてゆく。

1936年、リンケルはこの「隠れ型アレルギー」を論文にまとめ、発表した。しかし有名アレルギー誌からはことごとく発表を拒否され、以後8年間、リンケルはこのことに腹を立て続けた。そしてこの「隠れ型アレルギー」の存在も、アレルギー学界の主流から外され、闇に葬られていった。

※これは2,000年当時の話です。現在北里病院では、これらの治療は行っていません

第3章をイッキ読み
第3章の全文掲載完了に伴い、日々のブログ記事を1ページにまとめたイッキ読みのページをご用意させていただきました。 長文となりますがご興味をいただけましたら、お読みいただけましたら幸いです。
CSの認知・理解を広げるためシェアにご協力下さい
奥野井タリカ 私の化学物質過敏症(CS)

コメント

 
タイトルとURLをコピーしました