1995年3月20日、東京の地下鉄車内に、神経毒ガスである「サリン」が散かれた。オウム真理教信者により、地下鉄千代田線、丸ノ内線、日比谷線の車内に、サリンが散かれたのだ。「地下鉄サリン事件」である。
被害者は、死亡者12名、中毒患者5500名余りに上った。28年前の事件だが、被害に遭った人たちのなかには未だ、後遺症で苦しんでいる人も多い。
引用したのは、この事件のときサリンを吸い込み、倒れ、病院に搬送された女性の証言である。村上春樹著『アンダーグラウンド』のなかで、「平山慎子 当時二五歳」として登場している。中毒被害に遭った人たちの中では、比較的軽症だった女性である。(『アンダーグラウンド』村上春樹著 講談社 1997年第一刷 p447~451より)
それにしても、何と化学物質過敏症の発作症状と、似ているのだろう。私の農薬発作と、まるで同じ過程である。
むかむか感から始まり、身体の力が除々に抜け、頭はもやがかかったようになる。そして最後は動けなくなり、その場に倒れ込む…。毛布をかぶってもかぶっても寒い!!というあの強烈な寒気、ところまでそっくりだ。
またこのとき、サリン被害者の人たちが口を揃えて言っていたのが、「視界の暗さ」だった。
『目の前が真っ暗なんです。別に痛くはないんですが、真っ暗になっている』(前掲書p149上段)『目の前がサングラスでもかけたような状態になってきたんです』(同p183上段)『目を開けたらもう真っ暗なんです。まるで映画館に入ったときみたいな感じです』(同p241下段)
これは、サリンの影響で瞳孔が小さくなったためだった。「縮瞳(しゅくどう)」である。サリン吸引の顕著な症状がこの「縮瞳」で、たとえば当時のニュース報道でも、さかんにこの「縮瞳」という言葉が飛び交っていたのを、私も覚えている。
瞳孔サイズが縮んで、小さくなっている―つまり私が、診察の折医師の先生から「瞳孔の大きさが通常より小さくなっています」と言われたのと、これは同じである。「有機リン系農薬で発症した人は、このタイプが多い」とも言われたことを思い出して頂きたい。
つまり私の目も、サリン中毒被害者ほど激烈ではないが、慢性的にこの「縮瞳」状態であったことになる。
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