ちなみに、タイトルにもなっている「複合汚染」という言葉について、有吉佐和子は次のように書いている。
『複合汚染というのは学術用語である。2種類以上の毒性物質によって汚染されることをいい、2種類以上の物質の相加作用および相剰作用が起こることを前提として使われる。
分かりやすく言えば、排気ガスで汚染された空気を呼吸し、農薬で汚染された御飯と、多分農薬を使っているが、どんな農薬を使っているかまるでわからない輸入小麦と輸入大豆で作った味噌に、防腐剤を入れ、調味料を入れて味噌汁を作り、着色料の入った佃煮を食べ、米とは別種の農薬がふりかけられている野菜、殺虫剤と着色料の入った日本茶。という工合に、私たちが日常、鼻と口から身体の中に入れる化学物質の数は、食品添加物だけでも1日80種類といわれている』(前掲書 新潮文庫第51刷版P157より)
というのが当たり前の現代生活において、それらの化学物質の一つ一つの有害性や許容量は調べられていても、2種類以上の、掛け合わされた有害性やその総量の許容量については、何の研究もエビデンスもない、ということ、その怖しさについて有吉佐和子は危機感を感じているのだった。そのためにこの言葉をタイトルにもってきたのだろう。
私たちは、まさに「複合汚染」の世界のただなかに、生きているのだ、と。
そんなわけで、私たちはまさに化学物質だらけの「複合汚染」社会に生き、暮らしているわけだが、一方で、そこから一歩でも抜け出そうとする人たちの姿も、有吉佐和子は描いている。
農薬と化学肥料を使うのを止め、有機農業に転換したある若い農家の青年は、
『「農薬撒くと、お爺さんの身体が弱るんだ。俺たちの家では、お爺さんは大事な人だから、うまくねぇなと前から考えていたんです」』(前掲書P183)
と言い、
『「女房が妊娠しているとき、俺の果樹園には入れないようにした。こわいからだ。それから赤ん坊が無事に生まれてよ、俺は俺の作ったブドウを自分の子には喰わせるわけにはいかねぇと思って、こりゃあ、うまくねぇなと思ったんだ」』 と言う。
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