CS三界に家がない!

9-12 お父さんが鍵

 とはいえ、すぐに「家を建てる」なんてことが出来るはずもない。そして私は、とりあえず一日でも早くこっから逃げ出さなきゃいかん状態にある。まずは、緊急避難だ。

夜な夜な、母と二人で小声でヒソヒソ、ボソボソと「逃げ先」を検討する日が続いた。

父には内緒だった。内緒の”密談“だった。父にはなかなか「この家に私はもういられない。どこかへ逃げたい」とは言い出しにくかった。何しろこの家に横浜から引っ越してきて、まだ10ヶ月と経っていないのである。いやー言えないよこんなこと・・・。

正直恐かった。言って、父に第一声何と言われるか。

「もうどうとでも勝手にしろ。勝手に好きに生きていけ。俺はもう知らん」

と完全にサジを投げられるんじゃないか。そうなったら、私はどうすればいいのか…

CS界隈ではよく、
「鍵(キー)はその家のお父さんだ」
と言われている。治療にせよ転地療養するにせよ、それが上手くいくかいかぬかは結局その家の父親にかかっている、という意味。

父親の理解が得られるか得られないかで、天と地ほどにその後が決まってしまうのである。

CSは、その約7割が女性がなる病気だ。

娘がCS患者だった場合は父親、妻だった場合は夫になるが、往々にしてその男性側が経済的実権も握っているため、余計にその傾向は強まる。そして父親や夫の理解が得られなかった場合、娘や妻はかなり苛酷な、悲惨な状況に置かれることになる。

たとえばこんな話が、当時あった。

東京の、三鷹だったか四谷だったろうか、とにかくその辺りに持ち家のあるかなり“お金持ちさん”の家の娘さんが、CSになった。

家の周辺は、都心に近いこともあってかなり空気が悪かった。娘さんはそのせいで過敏症状がどんどん進み、今やほとんど寝たきりの状態に。CS発症前は至極健康で、身体つきも若干ふくよかな位だったのに、ひどく痩せてガリガリな状態になってしまった。

母親を始め、CSに理解を示した周辺の人たちが、父親に再三再四娘を転地療養させてくれるよう、頼んだ。経済的には裕福なので、それくらいのことは出来るはずだった。

しかし父親は、これを頑として拒否。どんなに頼まれ、懇願されようとも、受け入れなかった。挙句次のように言った。

「化学物質過敏症なんて病気は、そもそもない」
「あいつは怠けているだけだ」
「少しは痩せてちょうどいいじゃないか」

どれほど言われ説得されても、この父親は化学物質過敏症を認めようとしなかったのだ。

娘は、そんな父親に絶望した。そしてこの苦しい、地獄のような空気圏から逃れられないことにも絶望し、この頃はもう寝床で、
「死にたい、早く死にたい」 としか言わなくなった。母親一人がおろおろとし、泣きながら毎日CS支援団体に電話をかけてくる。しかし説得に協力した相談員も、この頑なな父親にはもはやなす術がない…

多少の異同はあるが、この話のパターンは現在まで続いている。さして珍しくもない、幾らでも転がっている話である。

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