CS三界に家がない!

9-22 何かが少しずつ動き出す

「家族三人で、ちゃんと話し合って決めよう」

そう言って父が歩み寄って来てくれたことで、膠着したままビクとも動かなかった状況が、少しずつ動き始めた。

「お前が『一人でも逃げる』と決心したことは良かった。パパとママはまだこの家から動けないから。とにかく逃げ先を、自分でよく探してみろよ」 そう言って後押ししてくれるようになった。一歩前進だ。

ちょうどその頃、CS患者の大先輩である七尾みち子さん(仮名)から電話があった。そして次のようなことを教えてくれた。

「N県に避難しているCS患者さんがいるのよ。松本かなえさん(仮名)っていう人なんだけど、あなたより少し歳が上かな、でも同世代だし。紹介するから、お友達になってみたら?」

N県には、父がバブル期に建てた別荘がある。松本さんはそのN県の南の方にあるペンションに、今長期滞在しているという。近いというわけではないが、会いに行けなくもない距離だ。実際会えるかはわからないが、とにかく話がしてみたい。

「電話でもいいから、話してみていろいろ教えてもらえ。情報はとにかく一つでも多い方がいいんだ」 と父はそういい、また「今度の休みに、うちもN県へ行ってみよう」とも言ってくれた。これも一つの縁、なのだ。どんなに細い、糸のような縁だとしても。

俄かに、事態がバタバタッと動き始める。何だか不思議だった。あんなに八方塞がりだったのに、動くときは動くのだった。本気で、もう背水の陣でどうでもこうでもやってやろう!! と決意すると、こうなるものなのだろうか?

3月の終り頃、とにかくN県へ向けてレッツゴー。そして以前にも書いたがこのN県行きのとき、劇的ともいっていい身体の変化を体験した。

出発前の私は、絶不調もいいところだった。極度の疲労感、そして呼吸の苦しさでフラフラ、ゼイゼイ状態。バランスが取れず、階段すらまともに下りられない。ちょっと気を抜くと、膝の力ががくんと抜けて段差を踏み抜きそうになる。70代の父と60代の母の方が、全然元気なのだ。自分のその衰え、衰弱ぶりに愕然とする。こんなに弱ってんのか、私は…。

頭の方も、相当おかしかった。考えが一つにまとまらず、ごちゃごちゃしている。加えてうつもひどいので、すぐ悲観的思考になる。頭の周囲に灰色の雲が、もくもくとぶ厚くかかっているような感じだった。「ブレイン・フキグ」(頭に霧がかかったような状態)なんて近頃いうが、まさにそれだ。

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