この家にはもういられない。
どこかへ逃げなければならない。
てっとり早く逃げるのなら、N県にある、父がバブル期に建てた別荘があった。丘の中腹に建つ、20坪ほどの小さな家が。
しかしそこには大きな問題があった。果樹園(りんご)があるのだ。それもかなり広大な。
家の周りは、ほぼりんご畑に囲まれていた。またその家に行くまでの道、交差点から1キロ程続くだらだら坂も、その右斜面にはずっとりんごの木がえんえんと植わっていた。ちなみに左側は田んぼで、これもえんえんと坂の上まで続いている。りんご畑が近くにある家、というより、りんご畑のど真ん中にある家、といった方が正しかった。
当然、農薬を散布する。
りんごへの年間農薬散布の回数は、だいたい25回くらい。殺虫剤、殺菌剤、除草剤、といった多種類の農薬が、3月の下旬頃から収穫2週間前になる10月上旬まで、散布される。
一年に25回ならたいしたことないんじゃ?と思われるかもしれない。が、このりんご園は3~4軒の農家が共同してりんご栽培を行っていたため、その散布予定も各家でバラバラだった。つまり一種類の農薬でも、今日はあっちの農家が散布し、明日はまた別の農家が、というように、3日も4日も続くことになる。25回といっても25日では終わらないのだ。結局このりんご園では、3月から10月までの約8ヶ月の間は、3日と空けずどこかが農薬を散布している、というのが常態になっていた。
と、いうことは。私がこの家にいたら、一年の大半は3日に一度の割合で、農薬にどかんと曝露することになる。そもそも農薬が引き金となってCSを発症した身だ。とてもじゃないがこの家にはいられない。
実は以前、半年程この家に避難していたことがあった。車の排気ガスを避けるためで、たまたま偶然、帯在期間が11月から翌4月までと、農薬散布期から外れていた。
それでも、帯在中強烈なうつになったのだ。あんまりひどいので、自主的に病院の精神科へ行ったくらい。飼猫がいなかったら、本当に自殺していたかもしれなかった。それ位強力なうつだった。後日母は、「あの家にいた頃のあなたは、はっきりと顔付きがおかしかった」と言ったほど。「農薬でうつになる」なんてことは、当時はまったく知らなかった。
そんなわけでこのN県の父の別荘へ逃げるのも難しかった。というか無理だった。かといって今の東京M市の家にももういられない。農薬か。それともごみ焼却場の煙か。前門の虎、後門の狼、の状態に私は直面していた。
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