「空気を調べて。大変なことになる」
津谷裕子(つやゆうこ)もまた、この「空気の異常さ」にいち早く気付いた一人だった。
杉並中継所稼働直後の4月。井草森公園の南門近くで津谷は、突然口中が苦い空気で満たされていることに気付いた。ついで激しい動悸と息苦しさに襲われ、ほとんど駆け込むようにして自宅へ逃げ込む。強烈な空気だった。全身に、何とも「表現しようのない衝撃的苦しさ」を感じていた。身体も手もがくがくと絶え間なく震えている。その震える手で、杉並区役所の公園課と環境課に電話し、「空気を調べて」と通報したのだった。津谷の自宅は、杉並中継所の真南にあり、距離はわずか150メートルしか離れていなかった。
津谷裕子は、応用物理学の専門家として、長年働いてきた。仕事柄、実験で数多くの化学物質-無機ガスやトリクロロエチレン等-を扱い、その曝露も受け続けてきた。だからたいていの化学物質には、“身に覚え”がある。
しかしこの日経験した空気は、過去のどれとも違う、とてつもない”何か”だった。ケタ外れの、おそろしく危険で有害なものが、空気中に漂っている。一瞬で津谷は、そう確信した。
翌朝から体調は、酷い状態になった。
口中の腫れ、喉の痛み、止まらない咳。血圧は190にはね上った。這うようにして病院へ行き、
「公園で、とんでもない空気汚染に遭った」
と医師に言うが、まともに取り合ってもらえず、血圧降下剤を処方されたのみ。
5月に入ると、体調はさらに悪化する。
咳は、胸の奥から吐き出すような激しいものに変わった。特に夜がひどく、一晩中苦しめられる。頭は霧がかかったようにぼうっとし、集中して物が考えられない。顔の筋肉も張り付いたように硬直し、頰がにこりとも動かせなくなった。手足からは力が抜け、料理をしていても頻繁に鍋や食器を取り落とす。そのせいで何度かひどい火傷をした。歩こうとすれば地面がゆらゆらと揺れ、外出先から戻れなくなり、電柱に抱き付いてタクシーを呼ぶこともしばしば。なぜか足が一歩も前に出せなくなり、道の真ん中で立ち往生することも幾度もあった。身体が、日を追うごとにどんどん、おかしくなってゆく。
コメント
体調が良くなくて、なかなかコメントできずごめんなさい。
杉並病の原因究明に尽力した、日本のレイチェル・カーソンこと津谷裕子博士とは、少々ご縁があります。
私が学んだ大学の英文科では、カーソン氏の執筆した「沈黙の春」が人気があって、多くの学生達が原文で読むことにチャレンジしました。当時は、杉並病もシックハウス問題も知らず、のちに香害問題が発生したり私が化学物質過敏症になることなどまったく想像もしておらず、この本以上に環境汚染が深刻な世の中になってしまったことに大変驚きと恐怖を感じています。
また、津谷博士が大学院の博士課程の2年生の時、私の叔父が修士課程の1年生として入学し、二人は先輩後輩として同じ分野の研究に取り組んでいました。津谷博士がお亡くなりになる2~3か月前に、たまたまお話する機会があり、遺言として化学物質過敏症への対応を行うよう色々な知識を授けて下さいました。
体調が悪いことが多く大変微力ですが、できるだけ多くの方々に化学物質過敏症を知って頂けるように努力を続けるつもりです。
タリカさんも頑張ってください。
ちなみに、タリカさんは、8月2日放送のNHKのあさイチの化学物質過敏症特集はご覧になりましたか?
体調がお悪いのに、とても力のこもったコメントをお寄せくださり、感謝です!いつも応援、本当にありがとうございます。
いやー、でも今年の暑さはもう、大変でしたね!私も暑いので、ほんとにしんどかったです。ほかのCS患者さんたちも、今年はいつにもまして、過酷な夏だったでしょうね・・・。
いろいろ、素敵なエピソード、ありがとうございます。大学でレイチェル・カーソンの「沈黙の春」をお読みになった!しかも原文で!!すごいなぁ。ワオ!
でもあの時代に農薬の恐ろしさ、環境への影響に鋭く言及したレイチェル・カーソンは、本当にすごい女性だったんだなぁと、改めて思いますね。
津谷裕子さんと叔父上とのご縁も、ちょっとびっくりですね!そしてその深いご縁は、未来~さんともつながっていたのではないでしょうか?
私は、津谷さんとは2回、お電話でお話しさせていただいただけですが、大変に気さくでオープンな方でしたね。
どこのウマのホネともわからない私にも、何でも話してくださって。きっと、一つでも多くのことを後の人たちに、教えておきたい、伝えておきたい、
そしてとにかく風化させないでほしい、その一心だったように思います。
亡くなられて、とても残念ですが、津谷さんのあの強い信念と情熱を、私たちは少しでも受け継がなければウソですね。
がんばらねば…!と思います。
あ、あさイチのCS特集、見てないんですよー。どうでしたか?結構よくまとまっていたとの評判ですが…。