北里病院へ、行った話<奇妙な診察編>

5-9 排ガスはなけれども

しかしその後5、6年で、環境が様変わりする。開発が進み、近くを走る道路はいつの間にか道幅を拡張し、昼夜車がバンバン走るようになった。新しい地下鉄の路線がズバーンと開通したかと思ったら、新しい駅までドーンと出来、さらにその駅前にシネコンやら有名デパートやら高級スーパーがドカーンドカーンと建った。新しいマンションはタケノコのようにどんどん建設された。

人が増えれば、当然車も増え、となれば周辺空気の排気ガス濃度も、じわじわと上昇してゆく。世田谷でまず車の排気ガスに感作していた私は、次第にそれに適応することが出来なくなってゆき、そしてある日遂に、針が振り切れたのだった。

ヤバい・・・んじゃないかコレ?

疲れて疲れて、一日の大半を寝て過ごすようになっていた。寝ても寝ても、体力は戻らないばかりか、何かに吸い取られてゆくように失くなってゆく。

このままだと私・・・ここで寝たきりになるんじゃ…?

「消耗」「衰弱」という言葉がしきりに頭に浮かんでくる。そして目の裏に一瞬、寝たきりとなった私を介護している母の姿が、はっと見えた。なぜか本当に、物凄くリアルな画像として、ありありと見えたのだった。

ヤバい…ヤバいヤバいヤバい…ここにいたら遠からず、私はああなる…!

それで翌日、ありったけの体力を総動員して、甲信越地方に父がバブル期に建てた別荘に、一人逃げたのだった。住んでいた家から「逃げる」のは、世田谷アパートに次いで2回目である。やれやれ…

とまあそんな過程であったので、次の引っ越し先の最重要条件は「車の排気ガスの少ないところ」となるのも無理はなかった。と、たしかにここは、車の排気ガスに関しては条件が良かったのである。大きな車道も近くにはなく、また団地全体が丘の上にあり、どこからもやや離れている。この先開発が進みそうな気配もまあない。

本当に…アレさえなければ…なあ。

それでも車の排気ガスは少いのだから、この際アレには目をつぶろう。方々家を探して廻った父と母も、そして私も、そう思ったのだった。気にしない気にしない。あの不吉なバベルの塔みたいな煙突の姿も、目に入ったとしても見ない見えない。スルーよスルー、意識の外へ出してしまえー。

そう思っていた。思おうと努めた。

ところが。

ところがである。

実はとんでもないことが、アレに持ち上がっていたのである。

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