しかし実際のところ、杉並中継所からは何が出ているのだろう?これほど広範囲に健康被害をもたらした、あの汚染空気のなかには、いったい何が含まれているのだろうか?
杉並中継所に持ち込まれるプラスチックごみは、焼却されているわけではなかった。地下施設でプレスされ、圧縮しコンパクトにして、また運び出される。つまり押し潰しているだけなのだ。それなのになぜ、あの汚染空気は発生したのか。
津谷裕子は、その原因究明に乗り出すことを決意する。これは、応用物理学の研究者として、また一化学者として生きてきた自分の、使命だと思った。『このような事態が放置されるなら、杉並はおろか、日本に人は住めなくなってしまう』、そんな強い危機感があった。
ある人の言葉が、津谷の脳裏に鮮やかに蘇ってきた。/それは、日本で初めて女性で帝国大学に入学し、科学者となった、黒田チカ(1884~1968)の言葉だった。戦後間もない、まだ津谷が16、17歳だった頃、その黒田の講演会を聞きに行ったことがある。壇上の彼女は、熱を帯びた力のある声で、津谷ら聴衆の女子学生たち向い、こう言った。
「敗戦となり、戦争に負けた日本には、これからアメリカの圧力により/さまざまな化学物質が入ってくるでしょう。これまで日本人が、使ったこともなければ体験したこともない、化学物質です。
日本人の生活と、生命は、これより先危機的な状況に置かれます。
皆さんにお願いしたいのは、化学の勉強をして下さい、ということです。そして基礎的な化学物質の知識を身に付けて下さい。それが、皆さんの生活と、生命を、守る盾となります」
そんな黒田の言葉が、50年以上の時を経て、津谷のなかで蘇っていた。何か運命的なものを感じた。
応用物理学の専門家であるとはいえ、化学は専門外だった津谷は、急いで書店へ行き、高校の『化学』の教科書を何冊も買い込んだ。そして一から化学の勉強を始めた。
何としても、一日でも早く、杉並中継所を止めなければ・・・!
思うのは、ただそのことだけだった。
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