有吉佐和子著『複合汚染』に出てくる、このパラチオン(商品名ホリドール)という農薬。ピーク時には一年に900人近い自殺者を出したという、ある意味凄まじいともいえる農薬だった。が、さすがに1972年に失効し、使用禁止となった。それでも登録された1952年からすると、えんえんと20年間も使われ続け、膨大な被害と死者を出したのであるが。
このパラチオンやDDTといった有機塩素系農薬は、中枢神経毒性が高いということが判明し次々と失効、現在ではほとんど使われていない。そして次に、この有機塩素系に代わって登場したのが、有機リン系農薬である。
「有機リン系は低毒性」
というのが登場した時の謳い文句だったらしいが、どっこいもちろんそんなことはなかった。
群馬県前橋市で開業する、青山美子(あおやまよしこ)医師は、長年に渡りこの有機リン系農薬の危険性を訴え、またこの農薬による中毒患者の診察、治療にあたってきた第一人者だ。
農薬中毒を扱うきっかけになったのは、青山医師自身が、まさにその有機リン農薬中毒になってしまったことによる。診療所のすぐ隣に「種子消毒センター」が建ち、そこからガス化して流れてくる農薬に曝露して中毒に陥り、大変苦しい目に遭ったのだ。
しばらくすると、その種子消毒センターの風下にあたる1キロ圏内の住民たちが、次々と身体の不調を訴え青山医院にやって来るようになった。そして風向きが変わると、今度はそちらの方角の風下住民たちが、やはり駆け込むようにしてやって来る。
症状は皆ほとんど同じだった。めまいと吐き気、手足の冷えや脱力感、ぜん息や呼吸困難といった諸症状。意識がもうろうとし、半ば認知症状態に陥った人もいた。原因は、種子消毒センターが日々排気している、ガス化した農薬以外考えられなかった。
ついで夏になると、今度は水田に散布する農薬、特に有機リン系殺虫剤に曝露した住民たちが、ひっきりなく来院するようになる。
水田への農薬散布は、当時無人ラジコンヘリによって行われていた。この場合、通常ならば1000倍に薄めなければならない農薬を、わずか5~6倍希釈で散布してしまう。極めて高濃度であり、だからもちろん毒性が高い。
近くの住民たちは、事前に何も知らされていなかった。知らずに吸い込み、頭からもかぶることになった。わずか5倍希釈のスミチオン(有機リン系殺虫剤)が散布されている、そのたった4メートル離れたところに幼稚園のグラウンドがあり、そこで小さな子供を遊ばせていたお母さんは、水滴を感じて「あら雨かしら?」と空を見上げていた・・・そんな話を聞いて青山美子医師は、背筋が寒くなったという。
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