北里病院へ、行った話<奇妙な診察編>

5-28 そして香害へとつながった

イソシアネートは、全国に広まった。柔軟剤の、その香りに乗って。津谷が事態に気が付いたときは、すでに香りは日本の津々浦々、あらゆるところまで広がり、そこの空気のすべてを、香りで満たしていた。イソシアネートという、猛毒をまきちらしながら。

そのなかで、その「香り」に耐えられない者は、咳込み、嘔吐し、喉を搔きむしり、呼吸困難となり、顔を真っ赤に腫らし、気絶し、逃げ惑い、職を追われ、困窮し、ある者は死を選び、ある者は山へ逃げ、そうして彼らは、社会の外へおっぽり出された。たかだか、「香り」のために。

©SORAIRO

それは、現象としてはまったく同じものだった。

杉並病と、発生メカニズムも、それによって化学物質過敏症患者が多く生まれたことも。

同じ化学現象だったからだ。ウレタンから発生した、トルエンジイソシアネート。猛毒で強力なアレルギー物質が、人々の健康を破壊してゆくという、杉並病と寸分違わぬ現象。

化学現象の恐しさがここにある。同じ物質が、同じ条件下に置かれれば、やはり同じ毒性物質は発生し、人はたおれるのである。

杉並病と「香害」は、17年の時を経て、またつながったのだ。

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