北里病院へ、行った話<奇妙な診察編>

5-29 「杉並病」との直面

話がずいぶん先までいってしまった。急いで時計の針をまた、2000年当時まで戻そう。

北里病院を受診する半年ほど前、私は両親と共に、東京都M市にある公団ニュータウンに引っ越した。以前住んでいた横浜の家が、周辺の車の排気ガス汚染がひどくて、住んでいられなくなってしまったからだ。

そしてこの家に越してきた矢先、目と鼻の距離にあるーベランダ窓からその煙突がずどどーんと見えるーごみ焼却施設に、さらに排プラスチック圧縮処理施設が建設されるということを、一枚のチラシで知った。建設に反対する、住民団体のチラシ。頭が、真っ白になった。

それほど多くのことを、知っていたわけじゃなかった。でもそれでも、排プラスチック圧縮処理施設、イコール杉並病、イコール化学物質過敏症患者続出、ということくらいは知っていた。新聞でも民放ニュースでも、その頃さかんに報道されていたからだ。今思うと信じられないことだが。

杉並病で、化学物質過敏症を発症した人が多く出た。その原因となった排プラ圧縮処理施設、と同じものを、すでに化学物質過敏症になっている私の、家の、目と鼻の先に、つくる・・・!?

どうなっちゃうんだよ!?

というのが一番の思いだった。ただでさえ、もう 過敏症状がじわじわと顕在化してきているというのに、その上さらにそんな。

壊滅するんじゃないかな…私の身体は。

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