北里病院へ、行った話<奇妙な診察編>

5-8 ド阿呆な引っ越し

しかも。

しかもである。もとからこういう、ゴミ焼却施設が隣接する家に暮らしていて、で化学物質過敏症を発症したのではないのだ。化学物質過敏症を発症して、その後に引っ越した先が、ここなのだ。つまりゴミ焼却施設が、家と目と鼻の先のとこにあると、はっきりとわかっていて越して来たのである。

いやアホじゃねーの? と思われるだろうが、ハイ、実際アホでした。後から考えれば、いったい何を血迷ってそんなトコに…って話なのだが、しかし当時は若干、やむを得ない事情、理由がないではなかった。

この2000年当時、私の父はすでに70代になっていたのだが、まだ現役で働いていた。その父の通勤可能圏内の家が、ここしかなかったのだ。自家用車での通勤だったが、それでも前の家よりは40分以上余計にかかることになる。かろうじてギリギリ、という感じだった。

そしてもう一つの理由は、たしかにここにはゴミ焼却施設があったが、車の排気ガスは少かった、というところにある。

そもそもなぜ、その前に住んでいた横浜のニュータウン団地から、一家挙げて大々的に引っ越さねばならなかったのかというと。私が、化学物質過敏症を発症してその2ヶ月後に、今度は家の周辺の車の排気ガス空気にどうにもこうにも耐えられなくなり、でまたもや、家から逃げ出したから、なのだった。車の排気ガスで、その家にはもはや、私は住んでいられなくなってしまったのだ。

もともとは、その横浜のニュータウン団地周辺は、田舎ァ~でのどかぁ~な、緑の多い大変にいい環境のところだった。世田谷のアパートからほうほうの呈でこの実家に帰って来たときは、「おぉ何て空気が良い・・・!!」と感動したものだった。実際それでメキメキと身体も回復していったことは、以前書いた通り。

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