「杉並病」、ときいても今の人は、知らない人が大半だろう。もう25年以上前のことになるから、当事者以外の人はすでに忘れてしまったのではないか。実際、社会的世間的にもこの「杉並病」のことは、何か強力な魔法でもかけられたかのように、きれいさっぱり忘れ去られている。そんな気がしてならない。
しかし、そんな簡単に忘れてしまっていいのだろうか? と、私などは思う。この「杉並病」には、ごみの問題、特にプラスチックごみの問題、なかでもそのプラスチック由来の化学物質による健康被害の問題、が凝縮されて詰まっている。今日的な問題を数多く含み、それは決して過去に葬り去ってしまっていいことではない。忘れてしまえば、また同じことが繰り返されかねないからだ。
また、さらにつけ加えるならば。
この「杉並病」問題には、水俣病から連綿と続く、「公害」における被害者側と国側の、その対立の構造がよく見える。被害を訴える患者と、その責任を決して認めようとしない国側、という、決して変わらない構造がここでもまた、縮図のように浮かび上がってくるのだ。
ことのあらまし、経過はこうである。
1996年4月、東京都杉並区にある井草森公園の地下で、ある施設がひっそりと稼働を始めた。
その施設は、家庭から出たプラスチックのごみを、搬入して地下で圧縮して潰し、コンパクトにしてまた別の施設に運び出す、というものだった。排プラスチック圧縮処理施設である。
燃やすのではなく、あくまでも圧縮して潰すだけの施設だ。これは中間処理にあたり、なのでこの施設のことも「杉並中継所」と呼ばれた。建設したのは東京都で、その管轄も当初は都の清掃局だった。(後に都から杉並区へ移管する)
「焼却ではないから、まったく何も出ないわけではないが、特に換気塔からは問題になるような汚染は出ないと考えている」
建設前の住民説明会で、東京都清掃局側はそう説明していた。
コメント